2006年 07月 29日
4年半、お世話になりました。
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ここ最近ブログへの掲載をさぼっていたことを、時系列で追いかけようとしていたのですがなかなか追いつかないので、近いお話を一つ。(あ、このタイトル、ブログ閉鎖の意味じゃないですよ。)4年半勤めた今の会社を退社することにしました。書類上は8月末なのですが、8月に入ったら有休消化のためほぼお休みです。
理由は主に三つ、1) 将来やりたいことが今の会社の業界とは異なってきたこと、2) 勉強の時間を確保することと、3) 最後に会社が希望退職者を募ったためです。
将来やりたいこと
ESADEのエッセイを書いているときに、お決まりの"Mid-term Goal"と"Long-term Goal"についての項目がありました。それが、何となくしか思っていなかったことが文字にしてみると本当にやりたくなってくるのです。人の悪口を言わないのと同じで、言葉にするとそれが現実味が増して来てしまいます。以前から私は、日本の東京に偏った経済や生活習慣が好きではなかったし、私が地方出身というのもあるのかもしれませんが、あまり元気の無い落ち着きすぎた地方都市というのを見ると残念でなりませんでした。ちょうど5年前の夏に転職活動をしていたときも、ちょっとした刺激で、人が”はっ”と自分と人との違いに気付いて自信を持てるようなこと、たとえば教育とか、大きい話で言うと都市開発みたいな仕事も考えていました。しかし、まだまだ自分が人に刺激を与えられるだけの人間では無いと思っていましたし、自分が”おもしろいっ!”と思えることをしない限り何もできないと思ったので、人に何かを影響させられる仕事ではなく自分自身が何か面白そうなことをする仕事を選びました。
そこで遠い将来には、ほとんどが地元でしか消費されていないおいしいものとか奇麗な工芸品などを海外に紹介できる仕事ができないかな、というのが今私がやりたいことです。こう書くと今の私のコンピューターの業界とは全く関係ないような気がしてしまうのですが、そうでもないのです。アプリケーションのローカライズは、ある意味文化のぶつかり合いですし、今時インターネットを使わずしてどうやってモノを売るのか、ということです。
勉強の時間
今までも、学校に行こうとしていることは会社にも既に伝え、休暇をもらったりもしていたのですが、なにせ仕事がやりにくいのです。事情があって会社に伝えたのですが、数ヶ月後にいなくなるかもしれない人に、まわりの人は安心して仕事を任せられないのはわかるのですがどうにも身動きが取れなくなったのです。だから、希望退職のことも良いきっかけですが、その話を聞かされる前から、もし学校が駄目でも9月か10月に退社して別の方法で生活費を稼ぎながら勉強でもしようかと考えていました。
希望退職者募集
実は、私はこの会社で二度目の希望退職制度を経験しています。前回は、まだ自分にできる仕事があるしやりたいこともあったので、一緒に仕事をした友達みんなが去る中、たった一人残りました。今回も、まわりの人は私が残って固いと信じて疑っていなかったようですが、大穴で申請していました。もともと辞めた方が良いのではないかと考えていただけに、潮時かと思いました。
またこれが、この退職が今回はかなり辛いのです。外から見ると、レイオフされた側が急に職を失い不幸に見えるのですが、実際は、レイオフをしなければならなくなってしまった会社をこれから軌道修正しようと言う人たちが一番大変なのです。前回自分が残ったときの希望退職では、後で振り返って辛かったと気付きました。今まで仕事の仲間だった友達が、ボロカスに会社の文句を言っているのを聞き流しつつも耳にして、お互いが気持ちに急に大きな隔たりがありつつもしばらくは席を並べて一緒に仕事をし一緒に飲みに行ったのです。その人たちが完全に会社からいなくなってしまい一ヶ月近く経った頃、食欲が出て夜眠れて通勤電車が辛くなくなったときに、ようやく自分が負担に感じていたことに気付きました。私が鈍感すぎなのですが。(前置きが長いですが、)そう言う現象を経験しているだけに、実際の雰囲気や人や状況は全く異なるのですけれど、これからも、もう一踏ん張りして頑張ろうと決めたはずの人たちが心配そうな言葉を口にしているのが辛いです。私が一番お世話になったし、女性としてもいい先輩と思っている人に「やっぱり無理かもしれない...」と言われると、困っちゃうんですよね。
理由は主に三つ、1) 将来やりたいことが今の会社の業界とは異なってきたこと、2) 勉強の時間を確保することと、3) 最後に会社が希望退職者を募ったためです。
将来やりたいこと
ESADEのエッセイを書いているときに、お決まりの"Mid-term Goal"と"Long-term Goal"についての項目がありました。それが、何となくしか思っていなかったことが文字にしてみると本当にやりたくなってくるのです。人の悪口を言わないのと同じで、言葉にするとそれが現実味が増して来てしまいます。以前から私は、日本の東京に偏った経済や生活習慣が好きではなかったし、私が地方出身というのもあるのかもしれませんが、あまり元気の無い落ち着きすぎた地方都市というのを見ると残念でなりませんでした。ちょうど5年前の夏に転職活動をしていたときも、ちょっとした刺激で、人が”はっ”と自分と人との違いに気付いて自信を持てるようなこと、たとえば教育とか、大きい話で言うと都市開発みたいな仕事も考えていました。しかし、まだまだ自分が人に刺激を与えられるだけの人間では無いと思っていましたし、自分が”おもしろいっ!”と思えることをしない限り何もできないと思ったので、人に何かを影響させられる仕事ではなく自分自身が何か面白そうなことをする仕事を選びました。
そこで遠い将来には、ほとんどが地元でしか消費されていないおいしいものとか奇麗な工芸品などを海外に紹介できる仕事ができないかな、というのが今私がやりたいことです。こう書くと今の私のコンピューターの業界とは全く関係ないような気がしてしまうのですが、そうでもないのです。アプリケーションのローカライズは、ある意味文化のぶつかり合いですし、今時インターネットを使わずしてどうやってモノを売るのか、ということです。
勉強の時間
今までも、学校に行こうとしていることは会社にも既に伝え、休暇をもらったりもしていたのですが、なにせ仕事がやりにくいのです。事情があって会社に伝えたのですが、数ヶ月後にいなくなるかもしれない人に、まわりの人は安心して仕事を任せられないのはわかるのですがどうにも身動きが取れなくなったのです。だから、希望退職のことも良いきっかけですが、その話を聞かされる前から、もし学校が駄目でも9月か10月に退社して別の方法で生活費を稼ぎながら勉強でもしようかと考えていました。
希望退職者募集
実は、私はこの会社で二度目の希望退職制度を経験しています。前回は、まだ自分にできる仕事があるしやりたいこともあったので、一緒に仕事をした友達みんなが去る中、たった一人残りました。今回も、まわりの人は私が残って固いと信じて疑っていなかったようですが、大穴で申請していました。もともと辞めた方が良いのではないかと考えていただけに、潮時かと思いました。
またこれが、この退職が今回はかなり辛いのです。外から見ると、レイオフされた側が急に職を失い不幸に見えるのですが、実際は、レイオフをしなければならなくなってしまった会社をこれから軌道修正しようと言う人たちが一番大変なのです。前回自分が残ったときの希望退職では、後で振り返って辛かったと気付きました。今まで仕事の仲間だった友達が、ボロカスに会社の文句を言っているのを聞き流しつつも耳にして、お互いが気持ちに急に大きな隔たりがありつつもしばらくは席を並べて一緒に仕事をし一緒に飲みに行ったのです。その人たちが完全に会社からいなくなってしまい一ヶ月近く経った頃、食欲が出て夜眠れて通勤電車が辛くなくなったときに、ようやく自分が負担に感じていたことに気付きました。私が鈍感すぎなのですが。(前置きが長いですが、)そう言う現象を経験しているだけに、実際の雰囲気や人や状況は全く異なるのですけれど、これからも、もう一踏ん張りして頑張ろうと決めたはずの人たちが心配そうな言葉を口にしているのが辛いです。私が一番お世話になったし、女性としてもいい先輩と思っている人に「やっぱり無理かもしれない...」と言われると、困っちゃうんですよね。
by hataraku_usagi
| 2006-07-29 00:28
| 仕事